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道元禅師が気づいた日常の大切さ

曹洞宗を開かれた道元禅師は、「只管打坐(しかんたざ)」――ただひたすらに坐禅に打ち込むこと――の尊さを説かれました。
しかし同時に、日々の生活のすべてを尊び、そこに仏の心を見出すことの大切さも強調しています。
掃除、料理、食事、身だしなみ…そのどれもが尊い仏道の実践であり、いい加減にしてはならない――道元禅師はそう教えられたのです。

この考えの根底には、道元禅師が宋(中国)で出会った一人の老典座の姿があります。
70歳を超えるその老典座が、炎天下の中で一心に豆を洗っている様子を見て、道元禅師は「弟子に任せてもよいのではないか」と問いかけました。
老典座は「自分の修行は自分でやるべきもの。他に代わらせてはならない」と諭し、さらに「いまこの一瞬をおろそかにして、いつ仏道を修めるのか」と説いたといいます。
この言葉は、道元禅師の心に深く刻まれ、日常の行いをすべて修行とみなす教えの基礎となりました。

日本に帰国した道元禅師は、典座(僧堂の台所を預かる役職)に向けて『典座教訓(てんぞきょうくん)』という教えを著します。
その中で次のように記されています。

「典座の事を行ずるは仏祖の行を行ずるなり。」

台所の仕事にあたることは、単に料理をするだけではなく、仏祖の行いを体現する尊い修行である――という意味です。
さらに、

「作る心を先とせよ、味を先とすることなかれ。」

と説き、相手の健康や修行の充実を思う「慈悲の心」を第一とし、美味しさに執着して自分の評価を求めるような心にとらわれてはならない、と厳しく戒めています。

道元禅師が示した「日常そのものが仏道である」という視点は、現代を生きる私たちにも大切な示唆を与えてくれます。
普段の生活のひとつひとつを丁寧に、心を込めて行うことが、まさに禅の実践なのです。

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